韓国SF 『となりのヨンヒさん』を読んで ~SFとフェミニズムとの親和性を思う~
なぜか、読んだことのなかった韓国の小説。
『82年生まれ、キム・ジヨン』などは書店に平積みにされていたし、図書館でも見かけたが読もうと思いながら読んだことがなかった。
韓国の小説は、女性の社会進出や儒教的な家族観を問題にしたものが多い印象。最初からテーマがわかっていると、読む楽しみが減るから読んでこなかったのかもしれない。Kポップなどが流行ったからか、よく目にしていたが、それが私には逆効果だったのかもしれない。まあ、そんな私の事情はいいとして。今回ついに、SFという形で韓国の小説を手に取った。
チョン・ソヨン作 『となりのヨンヒさん』

この短編集は、いろいろなSF的テーマを扱っている。宇宙飛行士になりたい人々の話、異星人の話、パラレルワールドの話など。こんなざっくりした分類では表せない作品ももちろんある。どちらかといえばSFよりも幻想小説に分類されそうなものも。
SFの王道なテーマを扱いながら、王道を生きる人を描かないのがこの短編集の魅力のように感じた。地に足の着いたSFとでも言おうか、世界がちょっと変わったところで、変わらないであろう、どの世界にも周縁がありマージナライズされる人々がいるという事実を描きだしている、そんな感じがする。
そういうSFが好きかどうかは人それぞれな気がするが、私は好きだ。
設定はSFだが、SFの側面は強くない気がする。そうは言っても、SFが苦手な人からすると、そうした設定がノイズとなり楽しめないだろうか?
第一部は、「となりのヨンヒさん」含め11の短編で構成されている。最初の「デザート」はそれほどSF要素はないが、独特な世界観に面食らった。優しさ、切なさ、ほろ苦さがある作品が多く、「デザート」に倣うならコーヒーゼリーみたいな作品たちかもしれない。
第二部「カドゥケスの物語」は、宇宙飛行士の生きる時間の流れが、普通の人と変わってしまうという設定を生かしながらそれぞれの作品が作られていたように感じた。4編の短編で構成されている。カドゥケスという会社によって宇宙間の移動が特権化されてしまった世界。カドゥケスの全貌は明かされないが、革新的なテクノロジーで一会社が覇権を握る様子は、グローバル化が進む今、想像しやすいのではないか。
作者について
作者はソウル大学で社会福祉学と哲学を専攻されたそうで、自分の興味関心と似通っているところもあり、特に彼女の作品を好きだと感じたのかもしれない。英米フェミニズムSF小説の翻訳も手がけているそうで、確かに納得の作風である(ジェイムズ・ティプトリ-・ジュニアが登場する短編がある)。
こちらの記事、小説家の松田青子さん(フェミニズムをよく扱っている方)がインタビューされているので、現代のフェミニズム小説に関心がある方はぜひ。
弁護士兼 SF作家、彼女だから書ける小説とは。『となりのヨンヒさん』著者チョン・ソヨンに、松田青子が会いに行く(前編) | 対談・鼎談 | Book Bang -ブックバン-
SF×フェミニズム
SFはいわば舞台装置みたいなもので、それを利用して現代社会を批判する作品は多い。記事のタイトルでは、フェミニズムとひとくくりにしてしまったが、『となりのヨンヒさん』が内包する女性たちの生き方、そして男性たちの生き方は、もちろんフェミニズム以外の視点からも考えることができるし、考えるべきである。
たとえば、第一部に収録されている「最初ではないことを」に登場するナミ。彼女の名は「男嬉」と書く。ようやく生まれた子どもが女児だったことに落胆した両親が、次は男児をと、つけた名前だ。彼女に弟が生まれても、改名されず、ナミは漢字だけでも変えることを望んでいた。そして、ナミに「一番の親友」と称される主人公はレズビアンと、まあこれだけ聞くと属性盛りだくさんというか、SFに他の要素を持ち込むないでほしい、と言われてしまっても仕方が無いような気もする。
一方で、フェミニズム運動を使命とする女性がいるのは、私たちの世界が男女平等ではないからだし、フェミニズムを、発言する女性を、忌み嫌う男性も、ジェンダー規範に苦しむ被害者でもあるかもしれない。
要するにフェミニズムは、社会構造の帰結であり、個別性を考えることが重要なのは言うまでもないとしても、逆にパーソナルなものだ、と矮小化されてしまってはいけないものなのだ。
先ほどは敢えて要素を抜き出すように書いたが、一般化するなら彼女の作品は「技術が発達してもジェンダー規範や家父長性は保たれた世界」と言ってもいいかもしれない。ジェンダーロールを逆転させる作品のようなわかりやすさはないが、リアルさはある。現代の社会システムについて考えさせる力があるのではないだろうか。現代社会で、人によっては見過ごすことを、フィクションの中に入れ込むことで気づかせるきっかけになるように思う。
そして、きっとまだ長い間戦わなければいけない女性たちには、エンパシーを与える、そんな作品だったのではないか。