hibinodokusyokirokuのブログ

社会学、哲学を学ぶ大学生。2024~2025留学。読書、旅、食べることが好きです。

11月に読んだ本

月に2冊しか読めなくなってしまって辛い。昔は週に2冊は読めたのに……

社会人になったらもっと読めなくなるのだろうか、恐ろしい。早く自分の生活を確立して本をたくさん読める状態に戻りたい。

 

 

『さようなら、ギャングたち』 高橋源一

 

おすすめしてもらって読んだ本。なんかすごかった。日本の作家は文体がダイレクトに感じ取れる分、合わないときの読みにくさも増すので最近あまり読んでいなかったが、この独特な感じは好きだった。筒井康隆あたりもまた読もうかな。

 

『ケアのロジック』 アネマリー・モル 水声社

哲学の勉強のための本。ザ・哲学者が書いている訳ではないのでかなり読みやすい(読みやすいということは読み落としていることもあるのだろうけど)。オランダの病院で、糖尿病患者の人々のケアについて書かれた本。インフォームドコンセントで、患者の自由、自主的な選択権を重視されるようになってきた現在、読むべき本かもしれない。「自由な選択」で、私たちは同時に責任も負うことになる。そんな「選択のロジック」とは違う構造の「ケアのロジック」について考えていく。

この新しいロジックは、医療や介護の場面以外にも当てはめることができる、とモルは述べている。「ケア」は確かに医療や介護の文脈で使われることが多いがケアを実践するときの不確かさは、現代社会にも広く当てはまるのではないか。

 

 

読書の秋のはずなのに全く読めなかった。反省。

 

10月に読んだ本

2冊しか読めなかった10月

忙しかったのか、移動時間は本を読んだつもりだったが、全く読めなかった。哲学書がまだ途中だからかもしれない。

『中国・アメリカ 謎SF』 柴田元幸 小島敬太 編訳

中国、アメリカから選ばれた短編集。どれも面白かった。収録されている作品はこちら。

『マーおばさん』 ShakeSpace

『曖昧機械――試験問題』 ヴァンダナ・シン

『焼肉プラネット』 梁清散

『深海巨大症』 ブリジェット・チャオ・クラーキン

『改良人類』 王諾諾

『降下物』 マデリン・キアリン

『猫が夜中に集まる理由』 王諾諾

 

雰囲気があって好きだったのは、『曖昧機械――試験問題』発想が新しくて面白かったのは、『マーおばさん』

宇宙!侵略者!戦うロボット!みたいなSFはないが、ほどよく遊び心がある作品が多くて、良かった。

 

『となりのヨンヒさん』 チョン・ソヨン 吉川凪 訳

感想が長くなりそうだったのでこちらにまとめました。これもSF。

hibinodokusyokiroku.hatenablog.com

 

 

韓国SF 『となりのヨンヒさん』を読んで ~SFとフェミニズムとの親和性を思う~

なぜか、読んだことのなかった韓国の小説。

『82年生まれ、キム・ジヨン』などは書店に平積みにされていたし、図書館でも見かけたが読もうと思いながら読んだことがなかった。

韓国の小説は、女性の社会進出や儒教的な家族観を問題にしたものが多い印象。最初からテーマがわかっていると、読む楽しみが減るから読んでこなかったのかもしれない。Kポップなどが流行ったからか、よく目にしていたが、それが私には逆効果だったのかもしれない。まあ、そんな私の事情はいいとして。今回ついに、SFという形で韓国の小説を手に取った。

 

チョン・ソヨン作 『となりのヨンヒさん』 

この短編集は、いろいろなSF的テーマを扱っている。宇宙飛行士になりたい人々の話、異星人の話、パラレルワールドの話など。こんなざっくりした分類では表せない作品ももちろんある。どちらかといえばSFよりも幻想小説に分類されそうなものも。

SFの王道なテーマを扱いながら、王道を生きる人を描かないのがこの短編集の魅力のように感じた。地に足の着いたSFとでも言おうか、世界がちょっと変わったところで、変わらないであろう、どの世界にも周縁がありマージナライズされる人々がいるという事実を描きだしている、そんな感じがする。

そういうSFが好きかどうかは人それぞれな気がするが、私は好きだ。

設定はSFだが、SFの側面は強くない気がする。そうは言っても、SFが苦手な人からすると、そうした設定がノイズとなり楽しめないだろうか?

 

第一部は、「となりのヨンヒさん」含め11の短編で構成されている。最初の「デザート」はそれほどSF要素はないが、独特な世界観に面食らった。優しさ、切なさ、ほろ苦さがある作品が多く、「デザート」に倣うならコーヒーゼリーみたいな作品たちかもしれない。

第二部「カドゥケスの物語」は、宇宙飛行士の生きる時間の流れが、普通の人と変わってしまうという設定を生かしながらそれぞれの作品が作られていたように感じた。4編の短編で構成されている。カドゥケスという会社によって宇宙間の移動が特権化されてしまった世界。カドゥケスの全貌は明かされないが、革新的なテクノロジーで一会社が覇権を握る様子は、グローバル化が進む今、想像しやすいのではないか。

 

作者について

作者はソウル大学社会福祉学と哲学を専攻されたそうで、自分の興味関心と似通っているところもあり、特に彼女の作品を好きだと感じたのかもしれない。英米フェミニズムSF小説の翻訳も手がけているそうで、確かに納得の作風である(ジェイムズ・ティプトリ-・ジュニアが登場する短編がある)。

 

こちらの記事、小説家の松田青子さん(フェミニズムをよく扱っている方)がインタビューされているので、現代のフェミニズム小説に関心がある方はぜひ。

弁護士兼 SF作家、彼女だから書ける小説とは。『となりのヨンヒさん』著者チョン・ソヨンに、松田青子が会いに行く(前編) | 対談・鼎談 | Book Bang -ブックバン-

 

SF×フェミニズム

SFはいわば舞台装置みたいなもので、それを利用して現代社会を批判する作品は多い。記事のタイトルでは、フェミニズムとひとくくりにしてしまったが、『となりのヨンヒさん』が内包する女性たちの生き方、そして男性たちの生き方は、もちろんフェミニズム以外の視点からも考えることができるし、考えるべきである。

たとえば、第一部に収録されている「最初ではないことを」に登場するナミ。彼女の名は「男嬉」と書く。ようやく生まれた子どもが女児だったことに落胆した両親が、次は男児をと、つけた名前だ。彼女に弟が生まれても、改名されず、ナミは漢字だけでも変えることを望んでいた。そして、ナミに「一番の親友」と称される主人公はレズビアンと、まあこれだけ聞くと属性盛りだくさんというか、SFに他の要素を持ち込むないでほしい、と言われてしまっても仕方が無いような気もする。

一方で、フェミニズム運動を使命とする女性がいるのは、私たちの世界が男女平等ではないからだし、フェミニズムを、発言する女性を、忌み嫌う男性も、ジェンダー規範に苦しむ被害者でもあるかもしれない。

要するにフェミニズムは、社会構造の帰結であり、個別性を考えることが重要なのは言うまでもないとしても、逆にパーソナルなものだ、と矮小化されてしまってはいけないものなのだ。

先ほどは敢えて要素を抜き出すように書いたが、一般化するなら彼女の作品は「技術が発達してもジェンダー規範や家父長性は保たれた世界」と言ってもいいかもしれない。ジェンダーロールを逆転させる作品のようなわかりやすさはないが、リアルさはある。現代の社会システムについて考えさせる力があるのではないだろうか。現代社会で、人によっては見過ごすことを、フィクションの中に入れ込むことで気づかせるきっかけになるように思う。

そして、きっとまだ長い間戦わなければいけない女性たちには、エンパシーを与える、そんな作品だったのではないか。

夏休みに観た映画

夏休みに観た映画をまとめた。『太陽の帝国』以外は、Amazon Prime で視聴したもの。題名と監督が日本語表記のものは、日本語字幕版で、英語表記のものは英語字幕で鑑賞。私の英語力は、英語字幕ありでもところどころ意味が取れない、くらいのレベルだが、ジョークとかあまり良くない表現は、韻を踏んでいるなど訳されない方が面白いので頑張って英語で観ている。映画は今まで派手なアクションものばかりを観ていた人間なので、感想に深みがなくてもあしからず。一応ネタバレには気をつけているはず…

 

太陽の帝国 

監督:スティーブン・スピルバーグ

上海で日本軍の捕虜になってしまった、イギリスの男の子の話。詳しくはこちらをどうぞ。

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PET 檻の中の乙女

監督:カルレス・トレンス

人間的な怖さを感じるものが観たくて視聴。最初は、いわゆる弱者男性に当てはまりそうな主人公が相手にされなかった女性に対するミソジニーから監禁する話かと思っていた。しかし途中から女性の狂気が露見し、面白かった。

 

ガール・イン・ザ・ベースメント

監督:エリザベス・ローム

父親による少女監禁事件を映画化したもの。映画『ルーム』の原案にもなった事件らしい。終始父親が気持ち悪い。なぜか同じ日に二本続けて観たのだが、先に紹介した『PET 檻の中の乙女』の方がまだ物語として観れる分、よかった。

 

パルプ・フィクション

監督:クエンティン・タランティーノ

海外の暗髪ボブが大好物なので、女性の見た目に惹かれて視聴。LEONのマチルダといい、オン眉のボブが似合うのは不思議な魅力。その女性はギャングのボスの情婦だった。海外の女性は髪が長いのが一般的なので、顎ラインくらいのボブだと特徴的な役柄が与えられることが多いのかもしれない。あ、こういう終わりというか構造なんだ、という感じで、私としてはサムネイルのボブカットの女性にもっと出てほしかった。映像や雰囲気はおしゃれ。

 

Shutter Island

監督:Martn Scorsese

前も観たのに結末を覚えていなかった。英語音声に英語字幕で観たからかもしれない。面白かった。ラストの主人公の言葉に含みがあるのが怖かった。

 

Midsommar

監督:Ari Aster

夏が終わる前に観ておこうと思って再視聴。2回目なので何が起こるか大体わかっていたが、コミューン内で起こる惨事よりむしろスウェーデンに行く前の主人公の妹の話が怖かった。前回より画面をしっかり見続けたので、冠の花が動いたり木々がうごめくので映像酔いした。主人公がアパートで使っていたマグカップが、スウェーデン王室御用達のロールストランドだったのが芸が細かいなと思った。

友人に夏が終わる前に観たと話したら、風物詩じゃないんだからとつっこまれた。確かにそう。

 

The Hustle

監督:Chris Addison

アン・ハサウェイが好きなので観てみた。レベル・ウィルソンとバディを組んでもっと派手に立ち回るかと期待していたので、その点でやや期待外れ。結末は面白かった。

 

ヘレディタリー/継承

監督:アリ・アスター

アリアスターの他の作品も観ようと思い視聴。ミッドサマーより怖かった。家族の話のためか、より雰囲気が重い感じがした。グロさに関してはミッドサマーより控えめ。どちらも、儀式が絡んでいるからか、欠損する身体部位は似ているような気がした。ジオラマの描写とか、何度も映るツリーハウスとか、全体がしっかり怖いというか、狭い空間に閉じ込められている感じが嫌な雰囲気だった。

 

 

9月に読んだ本

 

べつの言葉で ジュンパ・ラヒリ

イタリア語で書かれたエッセイ。英語でも文章を書けるようになりたいと思っている私にとって参考になることが多かった。ただ日本語でも創作はしたことがないので、まずラヒリがやっていた言葉を収集する作業を日本語から始める必要がありそうだ。

 

叶えられた祈り トルーマン・カポーティ

以前、カポーティの初期短編集を紹介したが、今回読んだのは未完の遺作である。タイトルと、最初の2ページは、好きな雰囲気だと思って読み始めた。Ⅰ部の「まだ汚れていない怪獣」なんか、最高にクールだ。だがすぐに頽廃的な上流階級の生活に入り込む話が始まってしまった。幻想的な話を期待していたら、主人公が薬物はやるわ男娼になるわで、私としては期待を裏切られた。

だがそんな最低な主人公が、本の出版のために利用する上流階級の人間こそまた汚い部分が次から次に露見していく。その中に紛れ込むきらめきのようなものを読むうちに見つけると、先を読むのが少し楽しくなった。作品の冒頭は、8歳の少女の作文を主人公が思い出すことから始まる。少女が探したがっている「まだ汚れていない怪獣」に、主人公は会ったことがあるという。それに汚れてしまった怪獣にも会った、と。

最後まで読んでみて(といっても完結はしていないが)まだ汚れていない怪獣が何を指すかはわからなかった。怪獣というのは個人ではなく社会あるいはコミュニティなどを指すのではないだろうか。人と人の間の、実体のない関係性のようなもの、とか。この作品は、上流階級の人々のスキャンダルを当人たちにわかってしまうほど描いているそうだ。カポーティがそれも「芸術」として許されると思っていたら、その暴露の威力は汚れていない怪獣に匹敵するのかもしれない。そういった、悪意はないが誰かを苦しめるものが、まだ汚れていない怪獣なのかもしれない。まあ真相はわからないが。

 

以前紹介したカポーティの短編集↓

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9月の感想

ひとり暮らしを再開してから一気に読んだ冊数が減ってしまった。10月は大学が始まるのでもっと減ってしまいそうだ。スマホ依存よりは活字中毒の方が自分を許せるので、頑張っていきたい。

スマホ依存と鬱気味からの脱却 1. 病識をもち、言語化してみる

お題「私○○がやめられないんです!」

スマホを何とはなしに見るのがやめられない。

新書『映画を早送りで観る人たち』(稲田豊史 2022年 光文社)を読んだとき、そんな失礼なことは私は絶対にしない、と思った。事実、映画を早送りで観たことは確かにないのだが、そもそも映画をそんなに観ていないなと気がついた。

映画をコンテンツとして消費はしない代わりに、ショート動画やウェブ漫画にどれほど時間を費やしたことか嘆いても嘆ききれない。

ひとり暮らしを始めてもジャンクフードはほとんど食べずに自炊を頑張っていたのに、視覚から取り入れるものは、即座にドーパミンが出るようなものを遮断できず、結果としてジャンクフードを食べるより心身の健康に悪かった気がする。楽しく息抜き程度にとどめられれば良かったのに、自分自身を全く制御できないまま大学生活が過ぎていく。

文化人らしい頽廃的な生活ならまだ良かったが(太宰治や、海外文学に登場するパトロンのいる芸術家を思い浮かべてみたが、それを真似しても”文化的な生活”を送れるのかは謎である)ただの自堕落かつ鬱気味な生活が続いている。一番ひどい時期には何もできず誰にも言えず、留学を経て小康状態に落ち着いたように思える。

鬱気味になったのは、スマホをずっと見ているのは悪いことだ、と思っていながら、他のストレスからの逃げにスマホを使い続け、生活に支障をきたしたからだ。

スマホを見ている間、何も楽しくなかった。ショート動画を見て面白いのはせいぜい最初の2つくらいで、あとはただ止めどきがわからなくなっている。私の場合、スマホを見ることは息抜きに全くなっていない。スマホを持たなかったときはひたすら活字を読んでいたが、それがアクセスの速さと中毒性で活字がインターネット上のコンテンツにすぐ取って代わった。

何が私にとって悪いかと言えば、ネット上のコンテンツを長時間観た後、何も残らないことだ。時間を無駄にしたことについて考えれば自己嫌悪になるし、無理矢理考えないようにしても、結局先延ばしにしているだけで後々悪化するだけだ。

ただスマホを手にしている間、何かしらの安らぎを感じてもいるはずだ。それは他のことを忘れてしまい、時間があっという間にすぎるような没頭感があるからだろう。

以前私が読書に見出していたものを、スマホはもっと容易に提供してしまう。ネットコンテンツのほとんどは、内容の理解に時間がかからない。本のように自分の頭で考え想像する必要もないし、そもそも、ショート動画などは大量に消費される前提で、いかに冒頭で視聴者を引きつけるか、というところが勝負だ。純粋にクリエイターとして努力されている方もいらっしゃることと思うが、再生回数、いいねの数、フォロワー数等々可視化される数字のために何でもする人もいるところは気に入らないし、うっかりそんな動画を再生してしまうと非常に悔しい。

そう思って、ついにこの間、Instagramのアプリを削除した。それでしか連絡先を知らない人もいるのでアカウント削除には踏み切れなかったが、私にとっては大きな一歩だった。実際、ショート動画はそれ以来観ていない。ショート動画の親玉的存在であろうTikTokは、見始めたら絶対に終わるとわかっているので最初から入れていなかった。友人の近況を知るつもりで始めたInstagramが盲点だった。

ではスクリーンタイムが減ったかと言われると、不思議なことに全く減らないのだ。むしろリバウンドしているような気がする。余程現実に目を向けたくないのか、情けなくなるが、相変わらずスマホを見続けているのが悲しい事実だ。恐らく、ショート動画自体、内容を見たくて見ていたわけではないので、一つアプリを消した程度では変わらない。時間があると反射的にスマホを手に取って何か新規情報を得ようとしているのだ。以前は通学中も休み時間も本を読んでいたのだが、その夢中になりやすい性質がスマホ依存から脱却するのにはあだになっている気がする。

読書は言わずもがな好きだし、勉強も嫌いな方ではないのだが、ひとり暮らしをし大学に行きながら、その二つを娯楽にすることは難しかった。報酬系にまつわる問題や、時間管理などは、ひとり暮らしを始めて急に不具合を感じたことだ。おそらくADHD的傾向があり、この特性とは付き合って生きていかなければならない。

 

ひとまず、決意表明としてこのブログを書くとともに、スクリーンタイムをより厳しく設定した。ひとり暮らしで、かつある程度のストレス環境下でも、スマホに逃げて自己嫌悪になることがないように、従来の読書をベースに息抜き方法を見つけていきたい。それと同時に、自分の意思でどうにもできない部分の強いADHD的傾向を、うまく飼い慣らす方法を見つけたい。

鬱気味だったときは、恥じる気持ちから誰にも相談できなかった。病院に行くほどではない、自分は鬱ともADHDとも診断されないだろうとはわかっていたこともあり、どこにも行けなかった。ただ、その苦しみをそのままにしておける状態ではなく、大学のカウンセリングに通ってみた。助けになったかはあまり実感がなかったが、考えてみると誰かに話してもいいと思えるきっかけにはなったのだと思う。留学が終わると、ようやく半分過去の話として、親しい友人には開示できるようになってきた。ただ自分の理想の高さと、それに反するADHD的傾向にうまく折り合いはまだつけられていない。言語化することで病識がより鮮明になり、自責の念が軽くなる気がする。9割9分ほど自分のために書いているが、同じように苦しんでいる人がほんの少し楽になれれば、これ幸いである。

 

8月に読んだ本

8月に読んだ本のまとめ。大学の図書館に小説があまりないので、できるだけ新潮クレストブックスを今のうちに読んでおこうと思っている。

 

 

 

 

『そういうゲーム』 ヨシタケシンスケ 株式会社KADOKAWA


読んでいないものを見つけるとつい借りてしまうヨシタケシンスケさんの本。

人生で経験するかもしれないいろいろなことを「そういうゲーム」としてメタ的にとらえてみることで、何かに気がつける場合も楽になる場合もあるかもしれない。大人のための絵本かもしれない。自分に言い聞かせたいな、と思ったのはこのゲーム。

留学して、急がない生き方を少し体験できたような気がした。日本が、海外が、とそれこそ急いで語りたくはないのだが、自分の中ではっきりしていることもある。急がない生き方は、私が日本で確実に忘れていたこと、日本で思い出すことが難しいこと、だろう。

『日々臆測』 ヨシタケシンスケ 光村図書


なんでこんなことまで考えつくんだろう、とうらやましくなる本。頭の中でぼんやりと考えて、でもすぐに忘れてしまうようなことを自分の絵と文章で表せるなんて素敵だと思う。

 

『誰もいないホテルで』 ペーター・シュタム 新潮クレストブックス


スイスの作家は知らないなと思って借りてみた本。10篇収録されている。結末が「あ、こうなるんだ」というか、収束しきれていないように感じたものが多かった。読んでいくうちに、その感覚は減ったので単に最初のうちは私にとってなじみがなかったのかもしれない。なんせスイスの作家の作品を読んだことも、スイスを訪れたこともない。

松永美穂さんの訳者あとがきを読むと、いろいろと短編集としてのつながりが感じられてよかった。以下、自分が見返すときのため程度にそれぞれの短編に一言添えておく。

 

「誰もいないホテルで」

何か起こるのかと構えながら読んだが最後まで二人の関係はほとんど変化しなかった。現実はそういうものかもしれない。

 

「自然のなりゆき」

倦怠期らしい夫婦が貸別荘に泊まる話。何かが起こり何かが変わる。

 

「主の食卓」

男の痛々しさがコミカルに描かれていた印象。

 

「森にて」

浮世離れした少女の感じで「地球は蛇のごとくあらたに」(ティプトリー・ジュニアの『あまたの星、宝冠のごとく』収録)を思いだした。

 

「氷の月」

さびれた雰囲気の町の、守衛の男の話。もの悲しい。

 

「眠り聖人の祝日」

酪農が主流な土地で、野菜の有機栽培に挑戦している青年の話。ほほえましかった。

 

「最後のロマン派」

ピアノの先生の話。何をやっても空回るときのあの嫌な感じ。

 

「スーツケース」

妻が入院した夫の話。知っていたようで知らなかったこと、もう知る機会があるかはわからない。

 

「スウィート・ドリームズ」

同棲している男女。結末のしかけがよく効いていると思う。

 

「コニー・アイランド」

たったの3ページ。映画のワンシーンみたいだった。

 

アンネ・フランクについて語るときに僕たちの語ること』 ネイサン・イングランダー 新潮クレストブックス

何だこれ?と思ってタイトルで借りてみた本。表題作はレイモンド・カーヴァーの『愛について語るときに我々の語ること』のオマージュらしいが、読んだことがないのでわからなかった。作者はアメリカのユダヤ教正統派コミュニティで育ち、大学で学ぶのち棄教したそうで、その背景が色濃い短編集。これは読みながら、すごいぞ、と思った。ここで私がいろいろ述べるより、まあ読んでみてくださいと言いたくなる本。八つの短編集なので、まずはそこまで長くない表題作をぜひ。

 

『階段を下りる女』 ベルンハルト・シュリンク 新潮クレストブックス

図書館にベルンハルト・シュリンクを好きな方でもいるのだろうか。こんな田舎に……というのは失礼ですね。世界的ベストセラー作家の新境地、と書いてあった。私は『帰郷者』を除いて、『朗読者』(1995)『週末』(2008)と読んだが、しだいにおだやかさや静けさが前面ににじみ出てくる作品になってきた気がしている。作品はいくつか共通点があるように思える。主人公が問題の女性に恋していたこと、そしてそれを忘れられていないこと、女性が何かを隠していたことなど。女性が自らの過去を大なり小なり隠していること、彼女たちが「語らなかったこと」はシュリンクにとって大きなテーマなのかもしれない。そして男性が、彼女たちが語っていてくれれば「こうだったかもしれない」と思うのも、程度に差はあれ共通しているように思える。

この作品では、法律事務所に勤めるきわめて現実主義的に見える(そして本人もそう思っているような)主人公の現実が、一枚の絵によって綻びができてしまうそんな話だ。後半いろいろなことが明らかになってくるにつれて、面白さは増した。それまで、読者は、置き去りにされた主人公のように辛抱強く待たなければならない、かどうかは人によるかもしれない。他の作品より登場人物の年齢が高く、共感する要素は私にあまりなかったのでそう感じたのかもしれない。

 

8月の感想

学術書を読むつもりが全く進まなかった。引っ越しで忙しかったということにしておく。スーツケースとバックパックに荷物をつめた留学の経験から、だいぶ物は少なくなった。それでも、部屋も頭の中もまだ雑然としている。すべてが片付かないことに対して、急に猫のメタファーが思いつく。書きかけたものを削除し、別のところにメモしておく。最近、英語でもブログを書こうと決意した。慣れ親しんだ日本語でさえ私は言葉を注意深く吟味して、何かを書き上げられたことがない。このブログでも、できるだけよりよい言葉で書こうと思っているが、表現の優劣は私にはわからない。なんとか形にするので精一杯だ。そんな私が英語で書けるのか、全くわからないが実験としてやってみるつもりだ。そのために、読むものも英語を増やす必要がある。ほとんど本を読めなかった大学での空白から、快方に向かいつつある。負荷の重い英語や、学術書にもそろそろ取組めるはずだが、その前にスマホでおかしくなっている報酬系を9月のうちにリセットしたい。